『月を喰っちゃうドラゴンの話』
「ユザ様、今日はどんなお話をしてくださるのですか」
夜の帳が森全体を覆い始めた頃、時の森に住む魔術師とその弟子が、一階の居間に顔を合わせた。
眠る前にユザの話を聞くことが、いつの頃からか恒例となってしまっていた。
好奇心に琥珀色の瞳を輝かせている、はしばみ色した髪を持つ少年がカシス。魔術師見習いの少年である。
その少年の視線の先、お気に入りの窓辺でゆったりと座っている銀の髪の青年が、カシスの師匠である魔術師のユザである。翳りを含んだ紫水晶の瞳は無表情を装うが、その奥に潜む優しさをカシスは知っている。
「そうだな……」
何を話そうかと思案して、ぐるりと巡らした視線の端に、銀色に輝く月を見つけてよい話があったのを思い出した。
「こんなドラゴンの話を聞いたことがあるか、カシス」
そう言い置くと、一編の物語をひもとくように、ゆっくりと語り出した。
▽ △
ここから歩いて百日程かかる、遠くの森に草食のドラゴンが住んでいた。彼は好き嫌いせずに何でも食べる喰いしん坊なドラゴンだった。
その中でも、最も好んだのは、《月 恋 花》(ラヴィング・ムーン)という小さな青い花だ。
『月に恋する花』という意味を持つ、可憐で儚げな花はその名の由来となった月の輝く夜にだけ咲く。
柔らかな月光を浴び、届かぬ思いを風に乗せて月へと飛ばそうとするかのように、しゃらしゃらとその身を揺らす。
それらを、ぱくっと口に入れてはもしゃもしゃと噛み、ごくんと飲み込む。
「んまいね〜」
幸せそうににぱーと笑みを浮かべながら、青い花の咲く野原をごそごそと歩き回っては花を食べた。
ある日、ドラゴンはふと思った。
「この花が、こんなにうまいのは、月の光を浴びているからだ〜よな〜。うーん……、ぱく、もぐもぐ」
また一つ口に入れてドラゴンは考えた。
「と、言うことは……もぐ……この花をうまくするもとの月はもっとうまいのかな……ごくん」
一度その考えが浮かぶと、後はもう月を食べてみたくて仕方がなくなってしまったドラゴン。
森に住むある魔術師に頼んで、月の近くまで行けるようにしてもらった。
「みあーん、はやーく着かないかな〜。おいら、はらぺっこぺこだお〜ん!」
大きな声を出せばそれだけお腹が空くというのに、ドラゴンは大声で歌うようにおなかへったをくり返した。
魔術師がくれたのは一つの大きな雲だった。ドラゴンはそれに乗ってどんどん、どんどん月に向かって飛んでいった。
「月〜が喰いたい〜んのね〜!」
ようやく月のところに着いたときには、ドラゴンは叫びすぎて疲れてしまっていた。
でも、ようやく月が食べられるとあって、
「はぅ〜ん、うれしい〜」
と、舌なめずりをした。
「んでは、いったらっきま〜す」
あーんと口を開けて、少しかじってみた。
「ん? んまいの、かな?」
味のほうはよくわからなかったけれども、好き嫌いしないドラゴンはあんなに食べたかった月なのだから、きっとおいしいに違いないと思い、一息に月を口に入れようとして大きく口を開けた。
ごきっ
「……」
折しも月は満月だった。
それをいっぺんに食べようとしたドラゴンは、あまりにも口を大きく開けすぎて顎が外れてしまった。
『はぉ〜ん、いたいぃ』
声にならない悲鳴を上げながら、雲の上をのたうちまわったドラゴンは、雲から転げ落ちてしまったのだった。
▽ △
「……それで、そのドラゴンはどうなったのですか? ユザ様」
「ん、その後か」
心配そうに見上げる琥珀色の瞳に、ユザは自分の紫水晶の瞳に笑みを閃かせて答えた。
「今でも元気にしている」
「ユザ様、知ってるんですか!」
「相変わらず、月を見ては喰いたい喰いたいとぶつぶつ言っているがな」
くつくつと忍び笑いを洩らしたユザは、そう言って後日談を話してくれた。
▽ △
雲から落ちたドラゴンは、森の木に引っかかって助かった。しかし、顎はまだ外れたままで、木の上でもがいていた。
『はう〜』
「……何をしている」
ちょうど通りかかった男が木の上でもがくドラゴンを見つけて声をかけた。
『あぉ〜ん、顎なおして〜』
「とにかく、降りてこい」
それもそうだと気がついたドラゴンはパタパタと飛んで降りてきた。
そうなのだ。ドラゴンの背にはちゃんと羽がついているのだ。月までは飛んでいけないまでも、木から降りるくらいは簡単にできるのだ。
「で、どうした」
そう尋ねる男に、ドラゴンは身振り手振りで顎をなおしてくれと訴えた。
「顎が外れたのか? 何、月を食べようとした? で、一度に食べようとして大きく口を開けすぎた、だと」
男はドラゴンの言い分に、思案気に自分の顎に手を当てた。
男はしばらく考え込んでいたが、不意に何かを思いついたかのように顔を上げると、ドラゴンに向かって話しかけた。
「よし。顎は元どおりになおしてやろう。そのかわり、月を食べようなんて馬鹿な真似は二度としないと約束しろ」
『あうあう、するする、何でもするよ〜ん。早くなおして〜』
こくこくと首を縦に振るドラゴンに、男はわかったという風に頷いて見せると、ドラゴンの顎に手をかけた。
「痛いが我慢しろ」
ごきっ
骨が元に戻る音がした。
「ありがと〜」
と、ひとしきり男に感謝したドラゴンはパタパタと自分の森に帰っていったのだった。
▽ △
「……で、その顎をなおしてやったのが私だ」
「ユザ様が!」
驚くカシスに、ユザは意味ありげに微笑んだ。
「でも、そんなに月を食べたかったドラゴンがよく言うことを聞きましたね」
「いや、そうでもないぞ」
ユザの言葉が終わるか終わらないかのうちに、どんどんと扉を叩く音がした。
「こんな夜更けに誰でしょう」
「またか……。ほんとに懲りるということを知らん奴だな」
「お知り合いですか?」
ユザが答えるより前に、扉が開いて大きく口を開けたドラゴンが立っていた。いや、大きく顎の外れたドラゴンが。
『ユザ〜っっ。はぅ〜ん、いたい〜ん』
「少しは懲りろ」
言ってユザは無造作にドラゴンの口に手をかけると、大きな音を立てて顎を元に戻した。
「ありがとね〜。ユザ〜」
顎が元どおりになると、ドラゴンは礼を言って出ていった。
「あの、ユザ様・・・」
「今のがそのドラゴンだ」
「今日は満月ではないはずですが」
「ああ、それは。あいつが月を食べようと口を開けたら顎が外れるように魔法をかけておいたのだ」
なんでも無いことのように言うとユザは、
「さあ、今夜の話はこれでおしまいだ。眠る時間だ、カシス」
と、二階へ行くように促した。
「はい、ユザ様。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
カシスは、二階の自分の部屋のベッドにもぐり込むと、
「今夜は眠れそうにないや」
と、呟いた。
窓の外では、銀色の三日月が静かに輝いていた。
――END――
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