銀のフィリア

  


「本当にいいんですか…」
 医 療 機 器(メディカル・コンピューター)の単調な音が室内を支配している。
「ええ――」
 手術台の上の人物から声が返る。その声は、戸惑いを隠せない医師とは対照的なほど落ち着いていた。
 声の主はハイティーンの青年。青年の右腕は痛々しいほどに爛れていた。
「これはもう、つかいものにならないのでしょう?」
「ですが、強化細胞を用いれば何とか……」
 と、手術を担当している医師が言葉を濁す。患者は思わず見惚れるような笑みをこぼして医師を見上げた。
「何とかではだめなんです。動かなければ必要ありません」
 一度言葉を切り、考え込むようにそっと瞳を伏せる。
 再び医師を見上げた青年のライト・ブルーの瞳には決意の色が浮かんでいた。
 きっぱりと自分自身に決断を下す。
「切断、してください」

 レイレ・フォルダーが十九年間慣れ親しんだ右腕をなくした日のことだ。

                 ◇                                          ◇

 彼は艦橋の指揮デスクでオペレーター達の雑談をBGMに仕事に没頭していた。
「あれ? 中佐って左利きでしたっけ?」
 妙に明るい部下の声に振り返って微笑む。 彼より幾分か若い男が湯気の立カップを手に歩み寄ってきた。
「いいえ、右ですよ。フェイ」
「中佐〜、だったら平然とそういうことせんでくださいよ」
「……」
 レイレは部下の言い分を聞き入れて素晴らしい早さで書類の整理を行っていた左手を止め、ペンを置いた。
 この手の書類は直筆でサインをいれなければならないので手間がかかるのだ。
「どうして利き腕を使わないんですか?」
 今もフェイ・マインツが差し出したカップを左手で受け取り、なみなみと注がれた紅茶を口に運んでいる。カップをデスクの上に置き、誰もがみんな見惚れるような微笑を浮かべて部下の無邪気な質問に答えた。
「ええ。使いたいのはやまやまなんですけれど、ここ二、三日調子が悪くて」
「怪我でもしたんですか?」
 素直な反応に瞳を和ませる。
「造り物だからですよ」
「は?」
「私の右腕は義手です」
 絶世の美女ならぬ美男が紡ぎ出した言葉に目を丸くする。
「ぎ、義手だったんですかぁ。全く気づかなかった」
 マインツがまじまじとグレーの軍服の下に隠された右腕を見つめた。連邦軍士官が着用するそれは、ことのほかレイレによく似合う。
「何でしたらお見せしましょうか」
「い、いいです。遠慮しときます」
「そうですか」
 マインツがレイレの申し出を慌てて辞退して空になったカップを取り上げたとき、整然とした靴音を響かせて一人の男が艦橋に姿を見せた。
「フェイ、フェイ・マインツはここか!」
「げ、まずい」
「ハウゼン大佐。どうかなさいましたか」
 マインツが首を竦めるのを横目で見ながら男に声をかけた。
「フォルダー中佐。気にしないでください。こいつを連れてさっさとおいとましますから。どうぞ、仕事を続けてください。――ほら、マインツ、行くぞ」
 ハウゼンは半ば引きずるようにしてマインツを引っ張っていく。
「わーっ、ハウゼン大佐、ごめんなさい、すみませんっ!二度としません。許してください〜」
「お前の言葉は当てにならん。そう言って何回営倉から抜け出した? 答えられんだろう? 今日こそはじっくり話を付けてやるからな。心しておけ」
 必死に逃れようとするマインツをぴしゃりを叱りつけ、足音も荒く艦橋を出ていく。
「フォルダー中佐〜、助けてくださーい!」
「……紅茶、ありがとう。頑張ってくださいね」
 微苦笑を浮かべてそれを見送り、再びデスクに向き直る。
 『ぎ、義手だったんですかぁ』
 マインツの言葉が頭の中で反芻する。それを振り払うようにかぶりを振り、自嘲的な笑みを唇に刻む。
 この腕をなくしたのは十年も昔のことだ。今更自分を哀れむようなことなどしない。この腕のおかげで大切な人を守ることができたのだ。
 レイレはそっと服の上から腕を抱いた。
 後悔はしていない。あの人は生きている。今も自分に微笑みかけてくれる。だから自分も笑っていられる。守るべき、かけがえのない生命に――。

                 ◇                                                  ◇

 十年前――。
 母親の後ろに隠れて自分を見上げる幼い瞳。瞳の高さを合わせるためにそっと屈む
「始めまして。レイレ・フォルダーです。今日からよろしくお願いしますね」
 少年が恐る恐るといった風に顔を出す。奇麗なエメラルド・グリーンの瞳にはにかんだような笑みが浮かぶ。
「ご挨拶は?」
 母親に促されてようやく愛らしい唇から言葉を発する。
「…ユージン。ユージン・シュタイナ」
「良い名ですね。お父様がおつけになったのですか?」
「うん」
 返事と一緒に無邪気な笑顔が返る。つられて微笑み返し、そっと心に誓う。
 この笑顔を守り抜いて見せる、と。
 これは直感だった。自分はこの子のために己の生命を賭けることに辞さないだろうと。
 レイレはエフェソスで起こったクーデターで両親を亡くし、ユージンの父、エイル・シュタイナに引き取られた。その時レイレは十二歳で、当時少将だったシュタイナの口添えで連邦軍に入り、シュタイナの従卒として数年を過ごし、天賦の才とも言うべき軍事的能力を開花させ、十九歳になったときには、空軍 きってのエリート集団《空の番人》(スカイ・センチネル)のトップの座を獲得していた。
 ある日、レイレは月基地にある空軍本部で師団長を務めるシュタイナ中将に呼ばれた。
「お呼びでしょうか」
 中将の私室に一歩足を踏み入れ敬礼し、用件を尋ねた。 一連の動作が美しい。
「次の昇進で空軍司令官候補となった」
 空軍司令官とは、陸軍司令官と並び、地球にある統帥本部に次ぐ地位で、月にある空軍本部や各基地の全てを統括する空軍の最高責任者のことである。
 唐突にそんなことを言われ驚いたが、満面の笑みを浮かべて祝いの言葉を口にした。
「おめでとうございます」
「…それがあまりめでたくないのだ」
 困ったように言葉を濁すシュタイナを訝しげに見遣る。
「実は、候補は二人でな。私ともう一人、ザガン中将なのだ」
「と、言いますと、あの、でしょうか」
 レイレのそれは問いではなく確認だった。シュタイナは無言で頷き肯定の意を示す。
 ザガン中将はシュタイナと同期で何かと張り合ってくるのだ。むろん、それは向こうが一方的にシュタイナをライバル視しているだけでシュタイナはそんなことを考えたこともない。
 レイレは秀麗な眉を潜め、しなやかな指を顎にあててしばらく考えを巡らせた。
 ザガン中将は基本的に良い人物ではあるのだが、出世が絡むと理性と良心が跡形もなく消え失せてしまう人なのだ。それさえなければ部下達の信頼も厚く、評判の良い申し分ない師団長なのだが。
「――で、話を元に戻すが」
 シュタイナの声に思考を中断させて姿勢を正した。
「お前に息子の護衛を頼みたい」
「……護衛、ですか」
 シュタイナの言いたいことはわかる。ザガン中将もまさか直接シュタイナをどうこうしようとはしないだろうし、できないはずだ。とすれば、次に危険なのは地球にいるシュタイナの家族。妻と、確か今年六つになる息子だ。特にほとんど家にいる妻はいいとして、学校に通う息子がもっとも狙われやすい。
「シークレット・サービスという手もあるが、どうも信用がおけない。それに比べてお前は信頼できるし腕も立つ。父親の我儘ですまんが頼まれてくれんか」
「……その件、お引受けいたします」
 しばしの沈黙の後レイレは答え、それを聞いて安堵の溜息をついたシュタイナに穏やかな笑みを向け、再び口を開いた。
「ですが、中将閣下。軍のほうはどうしましょうか。除隊するわけにはいきませんし……」
 レイレの言葉にシュタイナは「心配するな、手は打ってある」といって自信たっぷりの笑みを向けた。レイレは嫌な予感がした。
「レイレ、明日から三週間休暇を取っておいた」
「……。それは事後承諾と言いませんか?」「なに、大差あるまい。結果は同じだ」
「精神的に巨大な差があるのですが。気のせいでしょうか」
「気のせいだ」
 大きな溜息をつくレイレの肩をぽんと叩いてシュタイナが言った。レイレは反論する気力も失せてシュタイナを見上げるともう一度深々と溜息をついた。そして、荷物をまとめるために踵を返して出ていこうとしたが、
「中将閣下」
 と、不意に立ち止まり振り返った。シュタイナが何だという風にレイレを見る。
「断られたらどうするおつもりだったのですか?」
 シュタイナは一瞬きょとんとした顔でレイレを見たが「さあ、どうするつもりだったんだろうな」と答え、笑った。レイレは頭を抱えたい衝動に駆られたが何とか思い止まり敬礼し、部屋を出た。
 そうして、ユージンに出会った。

                ◇                                                    ◇

「大気圏に突入します」
 オペレーターが告げる。次の瞬間強いGで身体がシートに押しつけられる。
 レイレは今戦艦に乗っている。とは言っても戦争があるわけではない。定期的に行われる査察のためである。
たかが査察に大げさではないのかという声もあるが、宇宙海賊や反体制派のゲリラなどに出くわしたとき重火器なしではとても対応できないという現実を無視するわけにはいかないのだ。
「ラミア基地に到着いたしました」
 オペレーターの声に視線をメインスクリーンへと転じる。メインスクリーンは広々とした発着場を映し出していた。基地の方向から一台のエアカーがこちらにやってくるのが見える。
「フォルダー中佐」
 いつの間にか横に立っていたハウゼンがレイレを促した。
「いってらっしゃーい!」
 と艦橋を出ていこうとする二人をマインツが笑顔で見送る。
「…馬鹿」
 ハウゼンの呟きを聞いてレイレは口もとに笑みを閃かせた。
「フェイ。後のことはよろしくお願いしますね」
「は! お任せください!」
 マインツはレイレに微笑みかけられると顔を上気させ一オクターブほど声を跳ね上げた。舞い上がったのはマインツだけではない。第一艦橋にいた者全て、だ。部下達を茫然自失の体にした張本人は再び微笑した。
 恍惚としたマインツを現実に引き戻したのはハウゼンの冷たい一言だった。
「フェイ・マインツ。大口を叩くのはせめて尉官になってからにしろ。今のお前では役者不足だ」
 その一言でマインツは腐った。
「では、行ってくる」
 そう言い残し、レイレとハウゼンは肩を並べて出で行った。

「久しいな」
 エアカーを下りるなりそう声をかけられた。声の主は顔を見るまでもない。地球にあるラミア基地に配属されている空軍戦闘師団所属の連隊長である、ラークランドレイク・ルブラン、その人である。
「これはこれは、大佐自らお出迎えとは恐縮ですな」
「お久しぶりです、ラーク」
 レイレは旧知の友に曇りのない笑みを送った。ルブランとは《空の番人》時代のチームメイトだったという間柄だ。
「相も変わらず美人だな、お前」
「ありがとうございます」
「…そこで世間話をされると私の立場がない」
「おや、いらしたのですか。リグラス・ハウゼン殿」
「ラーク」
 嗜めるようにレイレが静止をかけるとルブランはやれやれと肩を竦めて見せた。
「ラーク、私達は遊びに来たわけではありません。まだこれからファオラとリアクームを訪問しなくてはならないのです。わかってください」
「…わかっている。中将閣下のところへ案内しよう。こっちだ」
 先に立って歩く黒髪の男の背中を懐かしそうに見つめながらその後に続いた。
「変わっていませんね、あなたも」
「おかげさまでな」
 勝ち気な紫色の瞳。小気味の良い喋り方も、仕種も。みんなあの頃と同じ。
 整然とした基地内を連れ立って歩き、何人かの兵士とすれ違ったが、すれ違った兵士達は皆一様に足を止めて振り返った。理由は一目瞭然であった。
「レイレ……」
「はい?」
 苦い顔をして振り向いたルブランを見て首を傾げる。
「頼むから、笑いながら歩くのはやめてくれ」
 そうなのだ。原因は回想に耽っているレイレだ。ただでさえ人目を引く美貌の持ち主であるレイレがこともあろうに微笑んでいるのだ。振り返って見つめたくもなる。
「そう言う言い方はないでしょう。まるで私が馬鹿みたいに聞こえるじゃないですか」
 憤慨して眉を吊り上げる姿もはっきり言って美しい以外の何物でもない。
「はは、違うのか?」
「…ラーク。本気で怒りますよ。私が本気になればどういうことになるのかは身に染みてわかっているはずでしょう」
 刹那、ルブランの笑顔が凍りついた。
 思い出したのだ。十年前を。
「思い出したようですね。私、怒りますよ」
 レイレの笑顔もこのときばかりは悪魔の微笑みにしか見えなかった。ルブランは慌ててこくこくと頷くと早足で歩き出した。
「どうしたというのだ、ルブラン大佐」
 足早にルブランに歩み寄ったハウゼンが小声で尋ねた。ルブランはちらっと後ろを振り返り、レイレが少し離れて歩いているのを確認するとおもむろに口を開いた。
「……実は、俺達がまだ《空の番人》だった頃の話なんだが。一回だけ。一回だけだけど、あいつを本気で怒らせたことがある」
 それで、とハウゼンが続きを促す。ルブランはごくりと唾を飲み込んで言を継いだ。
「――一ヵ月ベッドから起き上がれなかった」 



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