久遠の絵師
「白き契約の乙女」



 夜の帳がおりたレイファー。
 冒険者達の集う街。
 いろんなモンスター達が跋扈する、無法の大地への入口。
 冒険を求める者が旅立ち、また帰る街。
 そのレイファーの中でも、凄腕の冒険者が集うことで有名な冒険者の宿、『追憶の姫君』亭は今夜も大いに賑わっていた。
一階の酒場兼食堂では哄笑がわき、旨そうな料理を囲んで、冒険者達が酒を片手に語り合っていた。
 今日の無事を祝う者、明日の旅立ちを祝う者。
 皆、それぞれに命あるこの日を祝って、酒杯を呷っていた。
 歴戦の傭兵がいる。駆け出しの魔法使いがいる。店中の酒を飲み干しかねない勢いで酒を飲むドワーフ。繊細な歌声で客を魅了するエルフの吟遊詩人。多種多様な人種、職業の者達が、ここでは対等に酒を酌み交わす。冒険者であるという、ただ一つのことを除いては共通点のない者達であった。しかし、その「ただ一つ」があればいいのである。ここでの休息のときを過ぎれば、また死と隣合わせの冒険の旅に出るのだ。このひとときを大切にしようとは、ここでの暗黙の了解であった。この『追憶の姫君』亭でそれを破る者がいたとしたら、それは礼儀をわきまえない新顔の客だけであった。

「きゃあ」
「ちょっと! 何すんのよ!」
 隣で上がった悲鳴に、私は振り向き様、伸ばされていた手を掴んだ。
 手の先には見たことのない顔の男がいた。この店は常連とまではいかないが、何度か来ている。なのに知らないとなるとこの男は新顔の客だ。
 だから、知らないのだ。この店のことを。
「何だお前」
 無遠慮にこちらを見る男を思い切り睨んでやった。
「私の連れにちょっかい出すなって言ってるのよ」
「何ぃ」
 気色ばむ男に対して私は平然としていた。 私は知っていたのだ。
 ここで騒ぎを起こすほど愚かなことはないと。
「おい。どうしたんだ?」
 カウンターの方から現れたのは、黒髪の大柄な男だった。でかいくせに妙に動作が素早い。いつの間にか、私達を庇うように立っている。
「どうした、じゃないわよ。こいつがこの子のお尻を触ったのよ」
「本当か?」
 黒髪の男は私の隣で真っ赤になっている少女に尋ねた。少女は、こくこくと頷いた。
「何だって!」
 声と共に現れた若い男が今度こそ敢然と悪漢に立ち向かった。
 どうやら最初に私達に手を出した男も周りの様子に気づきはじめたようだ。
 剣呑な空気が次第に満ちてくる。
 ふと気づくと、吟遊詩人の音楽も止んでいる。
「兄さん。ここがどこだか知ってるかい?」 
黒髪の男が訊いた。
「つ、『追憶の姫君』亭だ」
「御名答」
 悪漢は黒髪の男の背後を見た。そして、思わず後退った。客達が各々の武器に手を掛けているのだ。
 しんと静まり返った中、耳障りのよいテノールが響いた。
「……マスター。最近、客の質が悪くなったんじゃないか」
 声の主はカウンターに座りこちらに背を向けていた。それでも、白金色の髪から覗く長い耳で男がエルフであることはわかる。
「そんなこたぁないさ。あれはお客じゃないね。すぐにもお引きとり願うさ」
 マスターの言葉が終わるか終わらないかのうちに、音もなくやってきた用心棒達が男を連れて店の外に消えた。
 酒場に再び吟遊詩人の歌声が戻る。冒険者達は、それぞれの席に腰を落ち着け談笑を再開した。
「さて」
 黒髪の男がそう言って私の向かいに座った。その隣にもう一人が座る。
「おーい」
 若い男がカウンターのエルフを呼んだ。
 そう、私達は仲間なのだ。


 私の名前は、ユーリ。長い黒髪を後ろで束ねている。目の色はアンバー。年齢は二十歳。さっき男に食ってかかったのは私。男勝りと人には言われるが全然気にしていない。ちゃんと恋人もいるしね。因に職業はハンター。 
で、私の隣に座っている女の子が、プリーストのレイリア。私より二つ下。ヘーゼルの瞳と赤みがかった茶色の髪が、ふんわりとした彼女の雰囲気によく合っている。性格は、おっとりほややん。さっきの騒動の中心であることを多分あんまり理解してない。
 それから、最初に間に入った黒髪の大男。彼はギルバート。皆にはギルって呼ばれている。そのでかさに似合わず、シーフで、パーティーの中でおそらく一番現実主義者。外見上最年長の二十八歳。
 次に割って入ったのが、ファイターのマイク。二十三歳。金髪にグリーンの瞳。見るからに熱血。陽気で明るい彼はパーティーのムードメーカーとなることを己の責務としている、らしい。
 そして、エルフのシャイン。外見は二十代半ばくらいに見える。エルフに対する世間一般の認識に洩れず、ほっそりとした容姿端麗の若者。白金色の髪にロイヤル・ブルーの瞳。因に彼が、私の恋人、なのだ。
 最後に。
 え? もう全員じゃないかって?
 さっきの一幕に登場していたのはね。実はもう一人いるの。それも私達のいるテーブルにね。よーく見ると、ほら、いるでしょ。酒瓶の隣。気持ちよさそうに眠っている小さな影が。そう。最後の一人は、フェアリーのビッキー。いつもなら一番うるさいんだけど、今夜はギルのお酒を飲んじゃって眠りこけている。
「うーん。もう食べらんないよぉ」
「……食わなくていいよ」
 ビッキーの寝言に、マイクが呆れたように答えた。
 私達は冒険に出かけていて、今日このレイファーに戻ってきたばかりなのだ。
「全く、帰った早々とんだ歓迎だな」
「レイリアが悪いんじゃないわよ」
 ギルの言葉にすかさず私は言い返した。
「当たり前だ! 悪いのはあの男の方さ!」 
マイクも弁護に回る。ギルは、わかっているとも、というふうに肩をすくめてシャインを見た。多分援護を期待したんだろうけど。 無駄だと思うな。
「……」
 やっぱりね。
 シャインは無言で杯を傾けている。いつものことだ。シャインはいつも冷静沈着。慌てたところなんて見たことない。
「まあ、なんだな。とりあえず、寝るか」
「そうですね」
 ギルの言葉にレイリアがおっとりと答えた。 この直後、盛大な溜息が洩れたのは言うまでもない。
 私達は知らなかったが、この時、私達の方を驚きの眼差しで見つめていた者がいた。それが新しい冒険の始まりだと知ったのは、とんでもない騒動に巻き込まれた後だった。


 翌日、私達は皆で町に出た。マイクが新しい武器を欲しがっていたし、ギルも盗賊ギルドに顔を出さなければならなかった。
 それに……。
「ねぇー、町へ行こうよー。市場に行きたいぃ、連れてってぇー!」
 と、うるさい奴がいたからだ。
「ねぇーねぇー」
「わーかった。わかったから」
「わーい」
 大喜びではしゃぎまわるのは、フェアリーのビッキー。まあ、あえて触れるまでもないけどね。これが、マイクやシャインだったら私は嫌だ。
「俺はとりあえず、盗賊ギルドに行かなきゃならんからな」
「うん。わかってる」
 ギルは何だか心配そうにこちらを見ている。
「大丈夫だって!」
 マイクとシャインを指して私は笑顔で言った。
「二人がいるんだし、私だって別に大丈夫よ」
「だといいんだがな。……二人とも後はよろしくな」
「ああ」
「わかってるよ。早く行きなよ、ギル」
 シャインとマイクが答えるとギルは足早に離れていった。
「全くもう、盗賊のくせに心配症なんだから」
「では、行きましょうか」
 おっとりと促すレイリアに、ビッキーが嬉しそうに声を上げた。
「行こう行こう!」
 そのビッキーの身体にどこから取り出したのか細い紐をくくりつける。マイクはその紐の一方の端を自分のベルトに結ぶと、「これでよし!」と頷いた。
「どうしたの? それ」
「この紐? ギルがビッキーはつないどけって」
 的確な意見だわね。
 いつもながら用意のよさに感心する。
「え〜ん。僕は 犬じゃないよぉ」
「犬よりたちが悪いわよ」
 私の言葉にシャインが無言で同意を示す。
「じゃあ、俺は武器屋に行くけど?」
 う〜ん。私は特に新しい弓が欲しいわけではなかった。シャインの方を伺うと、シャインも腰の剣に目をやって考え込んでいた。
「俺はとりあえずは要らないな」
 それはそうだろう。シャインの今使っているのより威力の高い剣を買うには少々所持金が足りない。
「私も今は要らないです」
「そう? じゃあ、俺がビッキー連れて行ってくるよ。なんか掘り出し物があったら見てこようか?」
「うん! お願いね。でも、言い値で買うんじゃないわよ」
「わかった。シャインあとはよろしく」
 私達は宿屋で落ち合うことを確認して分かれた。
「どうしましょうか?」
「う〜ん。レイリアはどこに行きたい?」
「そうですねぇ。市場なんか面白そうですね」
「市場かあ〜。シャインは?」
「どこでもかまわない」
「じゃ。市場だね」
 そういって歩き出す私達の後ろからシャインがついてくる。これじゃまるでシャインは私達の護衛だ。
 無意識なんだろうけど、仮にも私達は冒険者なのだ。自分の身は自分で守れる。
 はずだけど……。


 市場は大いに賑わっていた。さすがは冒険者達が集まる街だ。遺跡などで発掘した珍しいものなどが所狭しと並んでいる。
「いつ来てもすごい人だね」
「そうですね〜」
 やっぱり、ビッキーをマイクに預けてきて正解だったかもしれない。こんなところで野放しにしたらどんなトラブルしょい込んでくるかわかったものじゃない。
「あ! あれかわいい」
「え、何々?」
 レイリアが指したのは一軒の装飾品屋だった。その店先にレイリアによく似合いそうなペンダントが置いてあった。
「本当だ。レイリア、きっと似合うよ。――ねぇ、おじさん。見てもいい?」
「ああ。いいよ。それはなかなかの掘り出しもんだよ。さすが、目が高いね!」
 何がさすがなんだか。悪い気はしないけど。 装飾屋のおやじはそういって笑みを浮かべた。
「うん。やっぱりよく似合うよ。レイリア」
「そうですか?」
「そうだよ。ね、シャイン?」 
「あ、ああ」
 ちらっちらっと後ろを伺っていたようなシャインがそう返事を返す。
「どうしたのよ、シャイン。レイリアのよく似合ってるでしょ?」
「ああ。似合ってる」
 今度はちゃんとレイリアを見ていった。
 全く、何がそんなに気になるんだかね。
「本当ですか? シャイン、無理しなくてもいいんですよ」
 ほら見ろ。レイリアが気にしちゃったじゃないか。
「いや。よく似合ってる。レイリア」
 シャインの言葉に、ありがとうございますと礼をいってレイリアは考え込んだ。買おうかどうしようか迷っているのだ。これをやりだすとレイリアは長い。こういうときは結局買うんだけどね、彼女の場合。
「ところでさ……」
 店先で悩み始めたレイリアを横目で見ながら私はシャインに声をかけた。
「何か気になることでもあるの?」
 レイリアとおやじには聞こえないように声のトーンを落とした。
「ああ、ちょっと。何かつけられてるような気がする」
「ほんとに!」
 シャインの言葉にさり気なく背後を窺った。 ひやかしの客相手に商品を売り込む店屋や私達の同業者、それから、一般の旅人や街の人々。別段怪しい素振りを見せている奴なんかいない。一番怪しいのはこそこそと小声で話し合う私達だろう。
「特に変わったことはないと思うけど」
 シャインは黙って頷く。それでもやはり気になるようだ。
「いつから?」
「マイクと別れたあたりから気づいた」
 とすると、少なくとも私達全員に用があるわけじゃないんだ。私とレイリア、それからシャイン。この三人の中の誰かに用ってことか。……昨日、レイリアのお尻触った奴が仕返しに、とか。
 私はちらっとレイリアを見た。まだ悩んでいる。もう少し時間がかかりそうだ。
「ね。シャイン。私ちょっと出かけてくるわ」
 はっとしたようにシャインがこちらを見た。
「レイリアをお願いね。市を一周してくる」
「ユーリ」
 止めようとするシャインの手をするりとかわして人込みに紛れた。

「あら? ユーリはどうかしたんですか?」
追いかけようとしたシャインは一歩足を踏み出したところで留まった。レイリアを残していくのは危険だと判断したからだ。
「……市場を一周してくるそうだ」
「そうですか。すみません、私が迷ってるから」
「すぐ戻るだろう。気にするな」
 レイリアを心配させないようにシャインはそういった。
 しかし、そのあとでシャインは気づく。自分達に向けられていた監視の目がいつの間にか消えていることに。


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