呟きの彷徨人

〜つぶやきのさすらいびと〜             





 宵闇の外套を手に蒼い砂漠を越えていく
 もの悲しげに琵琶が歌う
 月光と契ったマリアの物語を
 竜と戦った勇壮な騎士の物語を
 千年の眠りについた美しき姫の物語を
 太陽の温もりを残した大地が
 風にそよぐ森の木々が
 待っている 生まれ出る言葉を
 だから 語ってほしい
 誰のものでもない あなた自身の物語を
 透明な琵琶の調べに乗せて












 地平線が赤みを帯び、ゆっくりと夜が明けはじめた。
 寒さを凌ぐために起こした火は、既に白く燃えつきている。その側で眠っていたらしい人物が、大きく伸びをしながら起き上がった。
 若い男である。こんな砂漠の片隅で野宿しているところを見ると、冒険者であろうか。一 人きりであるから、隊商(キャラバン)であるはずがない。だが、男は冒険者ではなかった。男の身なりは、冒険者のそれに酷似していた。
防寒用マントに身を包み、革鎧(レザーアーマー)を着用し、腰に細身剣(レイピア)を佩いている。ただ一つ異なっているのは、傍らに立てかけた細かい紋様の施されたウード。
 男は吟遊詩人であった。
 彼は大事そうにウードを背中に背負うと、鋭く口笛を吹いた。応えるように力強い羽ばたきが耳を打つ。
「おいで、ソンシア」
 差し出した腕に舞い降りたのは、素人の目から見ても感嘆の溜息を禁じ得ないほどの、素晴らしい一羽の鷹であった。〈勝者(ソンシア)〉の名をこの鷹が持つことに、万人が首肯するであろう。男の頼もしいお供である。
「そろそろ行こうか」
 軽くソンシアの頭を撫でると、再び大空に放した。
 男の名はアドニス。彼が吟遊詩人を志し、生まれ故郷を出奔してから、既に、六年の月日が流れていた。


 暖かい部屋と柔らかいベッド。うまい料理と酒。冒険者や旅人にひとときの安らぎを与えてくれるのが、街道沿いのこういった宿屋であった。
 一人の男が一軒の宿屋の扉を押した。背中のウードと、肩にとまらせた一羽の鷹。その姿を宿屋の女将が目ざとく見つけた。どうやら顔見知りであるようだ。

「いらっしゃい、アドニス。今度はいつもより長旅だったね。どこかで行き倒れてるのかと思ったよ」
 陽気な女将の言葉に苦笑する。これで彼女は私のことをいつも心配してくれているのだ。
「ひどいな、女将。それより、部屋はあるかい?」
「ちょうど空きができたところさ。二階の突き当たりだよ」
「ありがとう。それから、食事を」
「何にする?」
「任せるよ。ソンシアの分も頼む」
「あいよ。また歌ってくれるんだろ、アドニス。あんたの歌はうちの名物なんだから。あんた目当ての客も多いんだ」
「……ああ、後で」
 その返事を聞くと、女将はまた忙しく奥へと消えた。 まだ辺りは明るかったが、一階の酒場兼食堂は七割がた人で埋まっていた。この《銀の風》亭は、典型的な冒険者の宿であった。一階に酒場兼食堂、二階に宿泊施設。それを女将が一人で切り盛りしていた。
 賑やかな喧騒と陽気な語らいが心地好い。
 ここは故郷を出た私に帰る場所を与えてくれた。
 それはここを訪れる冒険者達も同じだろう。強面の傭兵あがりの戦士にも、ポーカーフェイスの魔法使いにも、滅多に人と交わることのないエルフやドワーフといった亜人間達(デミ・ヒューマン)にもここの空気は優しかった。死と隣合わせに生きる彼らも、ここでは明るく酒を酌み交わし、自己の武勇伝を得々と話すのだ。
 空いているテーブルに腰を下ろすと、女将が食事を運んでくれた。
「アドニス、残したら承知しないよ」
「……一人で食べろって? この量を?」
 既に恒例になってしまっている会話を交わし、周囲を見回した。隣のテーブルに一人の男がいた。剣士だろうか、それとも騎士だろうか。とにかく、どことなく礼儀正しそうな男に声をかけてみた。
「あの、もしよかったら御一緒しませんか? 一人では食べ切れそうにないので」
 男がこちらを見た。テーブルの料理と、私の顔を見比べている。量に驚いているのだろう。男はこちらのテーブルに移ってくると軽く会釈して座った。
「すごい量だな。一人で食べるのか?」
「それができないので、あなたに声をかけたんですけど」
「そうだったな」
 闊達な笑声を上げる男は、歴戦の勇者という雰囲気ではないが、なかなかの剣の使い手であるようだ。腰の剣はよく使い込まれている。
「俺はイザーク。流しの傭兵をしている。今は仕事が終わって一息入れているところだ」
 あんたは? という眼差しに応えて名乗る。
「アドニスです。私も、今日旅から戻ってきたところです。私は……」
「吟遊詩人、だろ?」
 私の傍らのウードをさして、笑顔を向ける。微笑して頷くと、テーブルの料理に手を伸ばした。冷めてしまわないうちにと思ったからだ。イザークもそれにならう。 他愛ない会話の話題も尽き、テーブルの料理もなくなってきたころ、不意にイザークが歌ってほしいと言い出した。
「これも何かの縁だ。一曲披露してくれよ」
 私は肯定の意味を示して、傍らのウードを引き寄せるとそっと爪弾いた。澄んだ音色が騒がしい部屋に響く。
「では、とっておきの物語を。あなたと私の出会いを祝して」
 ウードの音を耳にした女将が、忙しく動きながら客達に呼びかけた。
「さあ、アドニスが歌うよ。お喋りはその辺にして聞いときな。気まぐれな吟遊詩人の歌はただじゃ滅多に聞けないよ」
 女将の声に、それまで賑やかに話していた者達が一様に口を閉ざした。常連客にとってそれは当たり前のことであったし、初めてここを訪れた者も素直に女将の言葉に従ったのだ。
 静寂が支配する中を、ウードの音だけが静かに流れている。

「ある青い月夜に、一人の騎士に出会った。彼は歌う、戦場の哀歌を……」

 流麗で清雅な声が、ウードの音色と絡み合い、聞く者を物語の世界へと誘う。
 それがアドニスの歌だった。


 その晩、私は次の街にできるだけ近づきたくて、野宿もせずに夜道を急いでいた。
 誰何の声をかけられたのは、街道を逸れて、細く伸びる小道に足を踏み入れたときだった。盗賊かと思ったが、盗賊がわざわざ声をかけるわけもなく、剣の柄に手をかけた私の前に現れたのは、一騎の騎影であった。格好から察するに騎士であろう。銀の甲胄に身を固め、腰には剣、馬の鞍には長槍があった。
「そこにいるのは誰か?」
 誠実そうな声音に安堵しつつ名乗る。
「あやしい者ではありません。私はアドニス。旅の吟遊詩人です。急いでいるもので、近道をするためにこの小道を抜けようとしたのですが」
 そう告げると、騎士は馬を下りて一礼した。
「失礼しました、旅の方。私はジークマイスター公にお仕えする、クラウス・ヴァン・レフォルト。ところで、どちらへ行かれるのですか?」
「? エリスまで」
「やはりそうですか。ではここをお通しするわけにはいきません」
「何故です?」
 急いでいるのに通せんぼをする騎士を睨んだ。
「エリスへの街道はすべて封鎖されています。無理に通ろうとすれば命はありません」
「……戦ですか」
「ええ」
 質す、というより確認をとるように言った、私の言葉に気付いたのか、数瞬、苦笑に似た笑みを閃かせて答えた。
「よろしければ、私の野営へお越しください。ここは危険です。血の気の多すぎる輩もいますし。私の伯父は公にお仕えする騎士の長です。あなたのことは伯父から公に伝えてもらいます」
 騎士の親切に笑みを浮かべた。確かに、このままここにいるのは危険だった。敵ではないにしても疑われることは間違いない。ここは親切な騎士の言葉に甘えるのが得策だろう。
「ありがたく御好意に甘えさせていただきます。私はともかく、連れには少々夜道は辛いですから」
 と、私が鋭く口笛を吹くと差し出した腕に、風の一部が舞い降りた。ソンシアである。
「やあ、これは素晴らしい鷹だ」
 騎士が感歎の声を漏らす。
「〈勝者〉というのです」
 私の告げた鷹の名にしきりに頷く。
「然り。これは我らも縁起がいい。ではこちらへ」
 騎士はそう言うと、私をジークマイスター公の本営へと誘った。


 案内されたクラウスの天幕に落ち着いて、しばらくすると、クラウスが慌ただしく天幕に駆け込んできた。彼は、私のことを伯父に頼んでくると天幕を出ていったのだ。何か不都合でもあったのだろうか。それとも夜襲か。
「どうかしたのですか?」
 息を切らす彼にそう尋ねると、彼はようやく呼吸を整えて言った。
「公が、あなたのことをお話すると、大変興味を持たれた御様子で。是非、お会いになりたいと」
「え!」
「一緒に来ていただけますか」
 一晩泊めてもらっている身で、断るわけにもいかず、私はジークマイスター公の前で歌を披露することになった。
 ひときわ大きな天幕の中は、豪奢というほど華美ではなかったが、十分に立派だった。そのほぼ中央にジークマイスター公は座っていた。堂々たる風格を備えた、騎士と表現するより、戦士と言ったほうがしっくりくる壮年の武人であった。今は、軍装をといて平服だが、甲胄が何より似合うだろうと思われた。
「疲れているところをお呼びだてして申しわけない。知らぬとはいえ、旅の邪魔をしてしまったおわびに、夕食でも御一緒にと思いましてな」
「いえ。こちらこそ。戦場に迷い込むなど、ご迷惑をおかけしまして」
「では、お互い様というところですかな」
 豪快に笑うと侍従であろう、傍らに控える少年に合図して食事を運ばせた。
 私は請われるままに旅の話をし、英雄譚、武勲抄などを歌い上げた。
「さすがですな」
 称賛されて、盛大な拍手を送られると、私はかえって恐縮して、
「お褒めに預り光栄です。公のような方には、私のような一介の吟遊詩人の歌などお耳汚しでしょうに」
「いやいや充分楽しませてもらった。では、このあたりでおひらきにしますかな。今夜はゆっくりとお休みなさい。明日兵士達に安全なところまで送らせましょう」
「御好意感謝します」
 一礼して公の天幕を辞すと、外で待っていてくれたらしいクラウスに、ちょっと肩をすくめて見せた。
「高名な方の前で歌うのは久しぶりで、緊張しましたよ。やはり、私は酒場で歌うほうが気楽でいいです」
「そんなことありませんよ。私も、ここで少し聞かせてもらいましたが、素晴らしかったです」
「ありがとう」
 素直な賛辞に笑顔で答え、連れ立ってクラウスの天幕へと戻った。
 クラウスの天幕は、兵士達が野営をしている側にあった。天幕へ帰る途中、何人かの兵士にあった。皆、クラウスの部下であるようだ。
「レフォルト様、こちらの御仁はどなたですか」
「俺、もうすぐ父親になるんです。是非名付け親になってください」
「いかがです? 一杯。旨い酒が手に入ったんですよ」
「素晴らしい月ですな、レフォルト様!」
 かけられる声に、一つ一つ、誠意のこもった言葉を返し、クラウスと私は天幕に戻った。
「慕われていますね」
 席をすすめるクラウスにそう話しかけた。
「ええ、良い部下達です。しかし……」
 そこで言葉を切って、クラウスは目を伏せた。
「戦とはたとえ勝利しても、戦死者が一人もいないということはありませんから」
 と、力なく微笑んだ。
「あなたになら、聞いてもらえるかもしれない」



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