小さな声が拒絶の返事を返す。
「仕方がありません。……どいてください。ドアが開けられないでしょう」
 ひょいっと少年の身体を抱き上げると、オートロックの前に立った。
「すみませんが、ちょっとサングラスを外していただけませんか? でないと鍵が開けられないもので」
 きょとんとしている少年は、それでもその言葉に従ってサングラスを外した。
 現れたのは、あの赤みがかった瞳。造られたものでありながら、優しさと暖かさを備えた瞳。
「ありがとうございます」
 礼を述べて改めてセンサーの前に立つ。
 網膜を記憶させておくタイプの電子錠だ。しばしの沈黙の後、かちりと言う音がしてドアが開いた。
 カイヤムはミランの身体を抱いたままドアをくぐる。
「何を驚いているのです。私があなたを締め出すほど薄情な男に見えますか?」
 不思議そうに見つめる少年に苦笑を浮かべた顔を向けた。
「あなたのことです。放っておいたら朝まであのままいるつもりだったのでしょう」
 無言で頷く少年を下ろした。
「今夜は泊まっておいきなさい。明日になったらお家までお送りしますから」
 ミランはすすめられたソファーに腰を下ろして、部屋の中を見回した。
 普通の部屋。でも何故か生活感が感じられない。確かにきれいに片付いている。塵一つない。しかし、部屋全体を覆うのは、言い様のない一種の寂しさ。
「何かお飲みになりますか」
 上着を脱いだカイヤムがそう言って私室らしい部屋から出てきた。
「何も要らない」
「……では。お話を聞きましょうか」
 そう言ってミランの向かいに腰を下ろした。
「私に話があるのでしょう?」
 薄く笑って言葉を続けた。
「それとも、私に殺されに来たのですか?」
「違う!」
 予期していなかった強い調子で返され少年を見返した。
「僕は……ただ」
「ただ、何です?」
 静かに答えを待つカイヤムはそっと無表情という仮面をつけた。
 俯いてしまったミランを見て、ふと溜息を洩らすとカイヤムは、
「では、私のことをお話しましょう。それが聞きたかったのでしょう?」
 ゆっくりと足を組み替え、おもむろに口を開いた。
「私の身体は確かに人工生命体のものです。それは間違いありません。……しかし、私の所有している記憶は、実際存在した青年のものなのですよ」
 ある科学者が、最愛の息子を事故で亡くした。科学者は息子のいない生活に耐えられなかった。たとえ法を犯してでも、息子の存在を求めた。そして、自ら開発した人工生命体に息子の記憶を植えつけることに成功した。
「…それが私です」
 淡々と身の上を語るカイヤムをミランはじっと見つめていた。
「私のこの姿も、記憶も、『私』のものではないのです。私には細やかな人間の感情がある。それさえも偽りのもの。今こうしてあなたと話している私も全て偽りの中にしか存在しない」
 自分の存在を否定し続けて、それでも生きてきたカイヤム。それは、何のためだったのか。あるいは、誰のためだったのか……。
「カイヤム」
 ミランがようやく口を開いた。
「連れていってほしいところがあるんだ」
 カイヤムは無言で立ち上がると上着を取って戻ってきた。
「どこへいくのです?」
 手にしてきたマフラーをミランの首に巻いてやりながら尋ねた。
「カイヤムも知っているところ」
 カイヤムの話を聞き終わった後のミランは、それまでとは違い、確信に満ちた瞳をして笑みを浮かべていた。
 
ACT−7

 いつの間にか降った雪が街を白銀に変えていた。今はその雪もやんで、僅かな雲の切れ間から月が顔を覗かせている。
「ここは……!」
 銀のオブジェもすっかりと雪化粧されているが、ここはいつかミランを捜して歩いたあの庭園だ。
 カイヤムの手を取り、ミランはどんどんと奥へ進んでいく。
「ミラン、待ってください。どこへ……」
 カイヤムはそこで言葉を途切らせた。
 これはあのときと同じ道? あの場所へと続いているのか。
 視線の先に現われたのは、やはりあのときのオブジェ。ミランが眠っていた、月を象ったオブジェ。
「ここだよ」
 笑顔のミランはそう言うと、突然雪の中に倒れ込んだ。
「ミラン!」
「…あのときと同じだ。僕が眠っていて、カイヤムが捜しに来てくれた」
 閉じていた瞳を開けて、じっとカイヤムを見上げた。
「僕はね、ここでしかお母様の夢を見れないんだ」
「お……母様?……」
 ミランの母は、ミランを産んですぐに他界したと聞いている。
「お母様はこの場所が大好きだった。僕がお腹にいるときもいつもここに来ていた。……そして、ここで死んだ」
 再び目を閉じると、穏やかな笑みを浮かべて言った。
「カイヤム。僕がカイヤムのところへ行ったのは殺してほしかったからじゃないよ」
 天の啓示を受けた賢者のように迷いのない口調でミランは告げた。
「僕はカイヤムを迎えに行ったんだ」
「私を?」
「そう。僕にはカイヤムが必要で。カイヤムには僕が必要だから」
 簡単な方程式を解くようにミランは言った。
「同情、ですか」
「違うよ。必然だから」
 傍にいるのが必然だと、ミランは言う。
 親の愛に飢えていた少年と、与えられるべきではない愛に戸惑い拒絶していた青年とが出会い、親子でもなく、友達でもなく、まして恋人でもない。それらを越え、対等の関係としてわかりあった二人がいた。
「私の優しさが嘘だとしても、あなたは私を信じるというのですか?」
「カイヤムはカイヤムだ」
「その名前さえあてにならないものなのに?」
「僕にとって『カイヤム』はたった一人だけ」
 あの不思議な色合いの瞳がじっとこちらを見つめている。その中の悲しみの色だけが喜びの色へとすり変わり、瞳に明るさを取り戻させていた。
 カイヤムはその場に膝をついて少年の目を見つめ返した。
「…泣いているの」
 ミランが怪訝そうに尋ねた。
「わかりません」
 頬を伝う涙の暖かさを感じてはいたがカイヤムは微かに首を横に振った。自分でもこの涙の理由は説明できなかった。
「わかりません……ただ、あなたが私を必要としてくれるのなら、私は、あなたと共に……」
「そう言ってるよ」
 笑顔と共にミランの小さな手が伸びてきてカイヤムの頭を抱いた。
「それにカイヤムにも僕が必要だから」
「……はい……」
 小さな腕の中で、カイヤムはとめどなく涙を流した。 いつしか降りだした雪が、ゆっくりと優しく二人を包み込んでいく。カイヤムの流した涙も、二人の哀しみも、全てを優しく覆いつくす。
「お前の傍らでなら、僕はいつでもお母様の夢を見ることができるような気がするんだ」
 小さく呟いたミランの声も、純白の雪に吸い込まれて消えた。
 カイヤムはただただ生まれて初めて手に入れた小さな幸福を想って、静かに夜の音を聞いていた。
 しんとした夜の中に、雪のさらさらと降り積もる音だけが聞こえていた。


                                                                            《終幕》







 あとがき

 最初考えていたのとエンディングが違う……、は! これはマルチエンディングだったのか! ……そんなわけはない。しかし、違うことは違う。何か、これでいいような、まだ、書き足りないような、よくわからない気持ちのままあとがきを打っている私がいる。ぶちぶちシーンごとに区切って書いてはみたが、う〜ん、どうもなあ。なれないことをしたせいか、奇妙に具合が悪い。ミランやカイヤムは好きなんだがなあ。まあ、いいか。いろいろ試してみるのもよいことだしな。うん。さあ、次はどうしよう。相も変わらず、書きたいものはたまっている、どころか増えていくいっぽうだ。私の脳みそは何を考えているんだろう。
 次なる作品は、SFか、ファンタジーか。少々オーバーヒート気味の脳みそを抱えてとりあえずワープロに向かうことにする。

                 

書いたときのあとがきをそのまま載せているが(削除するのが面倒なだけ)、う〜ん。なんだかなぁ、ま、いっか。


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