第一印象からの判断だが、妙に確信めいたものがあった。
 呟くように独語し、荷物を寝台の脇に下ろす。そして自分の身体を寝台の上に投げ出し、そのまま何年ぶりかで深い眠りを貪った。


 どれくらい経ったのだろう。
 辺りはすっかり暗くなっている。
 カイルは、寝台の上に上半身を起こして座っていた。
「――ここは」
 ぼんやりとした頭で考える。
 そうだ、変な賭けをしてここに連れてこられたんだ、俺は。
 部屋は真っ暗なはずなのに、いやにはっきり目が見える。
 寝台の脇には自分の荷物。小さなテーブル。壁には感じの良い壁掛け……。
 そこまで考えたカイルは、慌てて寝台から飛び降り、荷物に飛びついた。
 また忘れた、薬っ!
 闇の中ではっきり目が見えるのはそのせいだ。
 カイルは大事にしまっておいた薬を取り出し、一粒口に放り込んだ。
「! にが……」
 何度飲んでも慣れないほど恐ろしく苦い薬は、起きたばかりのカイルの頭を一瞬で目覚めさせた。
カイルは薬をまた荷物の中にしまい、寝台の縁に腰を下ろした。
[――しかし」
 よく寝たなあ、と自分自身に驚いて溜息をつく。
 実際、ここまで文句なしに熟睡したのは五年ぶりだ。野宿の場合は言うまでもないとして、宿へ泊まったときでも、常に神経は外へ向いていて、わずかなまどろみの中で疲れた身体を癒すだけだった。
 そんなカイルが、何故こんなにも眠れたのかと言うと、それはこの部屋のせいだった。この部屋の持つ、独特の雰囲気が張り詰めたカイルの警戒心を解いてしまうのだ。
「よお、起きたか、少年」
 限り無く呑気な声がして、戸口に目を向けると昼間の男が立っていた。
「カイルです」
 名前で呼べと言外に語って立ち上がる少年に、苦笑を漏らして男は名乗った。
「そういや自己紹介がまだだったな。俺はセレシアだ」
「セレシア……。似合わない」
 呟いたカイルを怒る風でもなく、名乗った本人は言った。
「セーでいい。それより飯にしよう。お前が起きるのを待ってたんだから、さ。さっき見に来たら、起こすのが悪いくらいによく寝ててリヴィウスがもう少し寝かせてやれって言うから。俺腹空いて死にそうなのに」
 セレシアの言葉に真っ赤になって狼狽えた。カイルは下を向いたままおずおずと尋ねた。
「俺……そ、そんなによく寝てたかな?」
「ああ、寝てたなんてもんじゃねえな、あれは。力尽きて倒れてたという表現のほうがぴったりだ。お前そんなに寝てなかったのか」
 それには答えず、ますます顔を赤らめて足もとを見つめた。
 セレシアやリヴィウスが入ってきたことさえ気がつかなかったのか、自分は。
 と、カイルは心の中で自問する。普段のカイルには考えられないことだ。人の気配に気づかないなんて。
「どうした?」
 セレシアは急に考え込んだ少年を見て、心配そうに覗き込んでくる。
 人懐っこい表情。褐色の肌。銀に近い金の髪。それは少年が全く知らないものだった。少なくとも、今日彼に会うまでは。なのに感じる、この既視感。懐かしい。身体の奥の本能に近い部分が知っている。彼を、彼という人物を――。
「おい、カイル?」
 視線の端に心配そうなセレシアの顔が映る。 違う、そんなはずはない、と自分の考えを振り切るようにかぶりを振って、顔を上げて男を見た。
「……何でもありません。大丈夫です」
 まだ何か言いたそうなセレシアを促して部屋を出る。セレシアの広い背中を見ながら、そんなことあるはずがないとカイルは心の中でもう一度呟いた。


「遅かったですね。どうかしましたか?」
 食卓につくと、相変わらず微笑みを浮かべたリヴィウスが二人を迎えた。
「いいえ、何でもありません」
 カイルが答えると、
「そうですか」と静かに微笑んでスープを手渡した。
「冷めないうちにどうぞ召し上がれ。セレシア、あなたもお食べなさい。おなか、減っているのでしょう」
「……そうだった」
 言うが早いか、セレシアはテーブルに並べられていたパンを口いっぱいに頬ばった。そしてあっという間に飲み込むと、スープの皿を掴んで中身を飲み干し、リヴィウスにおかわりを要求しつつ、空いた手でおかずに手を伸ばしている。
「セレシア……。ほら、彼が驚いていますよ」
 リヴィウスの声にはっとしてカイルは我に返った。
「すごい食欲ですね」
「おうよ。お前も食え、カイル。でないと俺がみーんな食っちまうぜ」
 セレシアはよほどお腹が減っていたのか、喋る間も惜しんでせっせと口に料理を詰め込む。カイルはそうは言われたが、もともと少食であるためスープを一杯だけおかわりしてさじを置いた。
「もういいのですか?」
「はい。ありがとうございます。俺、普段からあまり食べませんから」
「だから、そんなに華奢なんだよ。本当に男か、お前」
「リヴィウスさんは?」
「……そこでどうして私の名前が出るのですか。私は体質ですから、セレシアのように沢山食べてもこの体型は変わりませんよ」
 憤慨して軽くカイルを睨む。カイルは、そのことより他のことに驚いてリヴィウスを凝視した。
「リ、リヴィウスさん」
「?」
「今、瞳が……!」
「瞳がどうかしましたか?」
 不思議そうに首を傾げるリヴィウスは、相変わらず穏やかな笑みを浮かべている。知っていて知らない振りをしているようには見えない。
「何でも、ない、です」
 今、一瞬瞳の色が変わったような……。
 心の中では首を傾げたが、口に出しては何も言わなかった。
「本当に何でもありません。ごめんなさい。おいしかったです。ごちそうさまでした」
「そうですか」
 笑顔で礼を言うと、リヴィウスは安心したように笑みを返した。まさかそんなはずないよなと思い直す。
「お前、こいつに見惚れてたんだろー。惚れるなよ、こいつ性格悪いぞ」
 カイルの行動をどう勘違いしたのか、セレシアが口いっぱいに頬ばりながらからかう。
「あなたほどではありませんよ、セレシア」
 秀麗な眉を潜めて抗議するリヴィウスを無視してセレシアは笑う。酒も飲んでいないのに酔っているようだ。妙に絡んでいる。
「こいつってば、ほんと性格悪くってさー」
「見えませんよ、そうは」
「まだまだ甘いな。だいたいなー、顔の良すぎる奴は性格が悪いって相場が決まってんだよっ」
「それは一理ありますね」
 妙に説得力があって思わず頷く。
「どういう意味ですか、どういう。全く、私を肴にして二人でつるまないでください」
 本気で傷ついたのか、怒ったように食器を片付け始めた。
「悪い、リヴィウス。別に悪気があったわけじゃないんだ」
 リヴィウスは、慌てて弁解するセレシアに冷ややかな視線を送り、唇に冷笑を浮かべた。美貌なだけに怒るとぞっとするほど怖い。
「十二分にわかっていますよ。カイルについてはね。けれど、あなたは本気でおもしろがっているでしょう。あなたの楽しげな気がひしひしと伝わってくるのは私だけでしょうか」
「そう、お前だけだ」
「そうですか」
 素っ気なく答えたリヴィウスにセレシアが哀れっぽい声を出す。
「リヴィウスー」
「そんな声を出しても無駄ですよ。親しき仲にも礼儀あり、と言いますからね。――私を本気で怒らせたらどうなるか、もちろんわかっているのでしょうね」
「っ!!」
 丁寧な言葉遣いなのに死ぬほど怖い。関係のないカイルまで背筋が寒くなったほどだ。 リヴィウスさんにだけは逆らわないでおこう、とカイルはそう深く心に刻みつけた。
「リ、リヴィウス。俺が悪かった」
 リヴィウスはそんなセレシアを一瞥すると、食べ終えた食器を持って部屋から出ていった。
「――セー、いいの? リヴィウスさん怒らせても」
「いいわけないだろう。以前怒らせたときなんて、もう少しで殺されるところだったんだ」
「リヴィウスさんに!?」
「あいつ、術使わせたらちょっとしたもんだからな。それに、よく言うだろ。物静かな奴ほど怒ると怖いって。あれだよ、あれ。その典型」
「……信じられない」
「だいたい、あの外見に皆騙されるんだよな」
 驚きを隠し切れずに、リヴィウスの去った扉を凝視する少年に苦笑を漏らして立ち上がる。
「さてっと。そろそろ外へ出てみるか」
「賭け、本当にやるの?」
「当たり前だろ。何のためにここにお前がいる?」
 セレシアはあくまでも賭けをやるつもりらしい。
 カイルは軽く吐息を漏らすと、いそいそと扉を開けるセレシアの後に続いた。
 もし月が出ていなければ、剣を持って逃げるしか――。
 そっと溜息をつく。
 カイルとしては、親切にしてくれたセレシアやリヴィウスを裏切るような真似はしたくない。そんなカイルの心を知るはずもないセレシアは意気揚々と外へ出ていく。


「――見事に曇ってますね」
 戸口から顔を覗かせてリヴィウスが呟いた。 そうなのだ。曇っているのだ。昼間あんなに晴れていたのが嘘のように、空には星一つ見えない。
「どうやら、俺の勝ちらしいな」
「……」
 カイルは無言のままセレシアを見上げた。
「で、俺に何を望むんですか?」
 カイルは観念したように大人しくセレシアの言葉を待った。
「剣は返す……」
「!?」
「その代わり、俺も一緒に行く」
「はぁ?」
 カイルは穴のあくほどセレシアの顔を凝視する。
「俺は剣より弓矢のほうが好きだから、剣に執着ないんだ。それに、最近退屈しててさ。お前と居たら退屈しないですみそうだし。何たって、楽しみが向こうからわざわざ団体で来てくれるんだもんな」
 このセレシアの言う楽しみというのが、毎度毎度カイルを襲うごろつき共のことだと判明したときには、さすがのカイルも頭を抱えたくなった。それをかろうじて堪え、まじまじとセレシアを見た。冗談で言っているのかと思ったのだが、どう見ても本気だこれは。すっかりついて来る気でいる。
「俺、行き先なんて決まってないよ」
 とりあえずそう言ってみた。
「いいさ。それだけ楽しみが続くってことだろ」
 効果なし。
「いつまで続けるかわからないよ」
「今後の予定は特にないからかまわない」
 やっぱり効果なし。
「それに……」
「カイル」
 静かにカイルを制して、セレシアが口を開いた。
「勝ったのは誰だ」
「セー」
 良くできました、とカイルの頭に手をやってセレシアは言を継いだ。
「お前に俺の同行を拒否する権利はない」
 確かにカイルは断ることはできない。賭けに負けたのは事実だ。
 本当はセレシアが一緒に来てくれるのはありがたい。言葉の様子や、身のこなしから推測してもかなり腕が立つことは確かだ。
 でも――。
 カイルはじっと考え込む。
 この旅は本当にあてのない旅だ。仮に目的地にたどり着けたとしても、そこに待っているのは悲劇だけかもしれない。だから、一人で行こうと決めた。
 一人で――。
「……わかった。その代わり、俺のやることには一切口出ししないでほしい」
 呟くように、しかし、きっぱりと言ったカイルは、真剣な眼差しでセレシアの青い瞳を見つめた。セレシアもまた、それに応えるようにしっかりと頷く。
 セレシアはカイルの真摯な眼差しに、遠い日の友の面影を見てふと瞳を和らげた。
「何?」
「いや。それよりここはいつ発つ?」
 表情を消すのがうまい男だ。しかも、無表情というのではなく、人好きのする笑顔にうまくすり替える。人生経験の差というやつだろうか、とても今の自分にはできない。一見何でもないセレシアの瞳に時々、研磨された剣のような鋭い光が宿るのをカイルは気づいていた、いや、知っていた。
 カイルは深く詮索するのはやめて、セレシアの問いに答えた。
「ここには特に用はないから、明日発つ」
「そんなに早くか? 俺なにも支度してねえぞ」
「そんなこと知らない」
「冷たいじゃないか。やっぱり剣返すのやめようかなあ」
「……」
 思わずカイルは絶句する。何なんだ。この異様なほどの精神年齢の低さは。そして、カイルは頭に浮かんだ疑問をそのままセレシアに向けて発した。
「セー、今何歳?」
「ん、ああ。二十九だと思うけど。それがどうかしたか?」
「ガキ」
「なっ!?」
 カイルはそれだけ言うと、セレシアが何か言う前に建物の中へ逃げ込んだ。
「何だとー!」
 激怒したセレシアをなだめるように、それまで大人しく成り行きを見守っていたリヴィウスがどうどうと肩を叩いた。
「落ち着きなさい、セレシア。今更怒っても仕方がないでしょう。あなたのそれは今に始まったことではないのだから」
「どういう意味だっ!」
「セー!」
 リヴィウスに詰め寄ろうとしたセレシアに、戸口から顔だけ出してカイルが声をかけた。
「明日出発するのは変えないよ。さっさと準備して寝なよ。おやすみ」
 カイルは言うだけ言って顔を引っ込めた。
「彼のほうがよほど大人ですねえ」
「――何が言いたい」
「いえ、別に。それより準備しなくていいのですか? 明日置いていかれますよ」
「わかってるよっ!」
 拗ねたように言葉を吐き捨てると、足音荒く部屋へ引き上げていった。無論、準備するためである。
 それを見送ると、リヴィウスはおもむろに空を見上げた。
 雲が晴れて、銀色に輝く細い月が顔を出す。
「これも、運命……ですか……」
 小さく呟いた言葉が夜風にさらわれて消えた。



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