そういうところが子供なんだよ、とは言わずに別のことを口にした。
「あいつに会ったら、言っといてくれ。ここに来るならそれなりの覚悟をしてこいって」
「わかりました。けど、無理しちゃだめですよ」
 それとなくダンの怒気を制して、少年は立ち上がった。
「エリク軍医、喧嘩になったら止めてくださいねー!」
「俺の仕事場でそんなことしようものなら、レーザーメスで切り刻んでミンチにして、宇宙空間に捨てる。その覚悟があるなら、暴れてもいいぞ」
 隣室から聞こえてくる台詞は、無論、ダンに聞かせるものである。ダンは、苦笑を閃かせて枕に顔を埋めた。
 軍医の言葉には、八十パーセントの本気が含まれているに違いない。あのルーフ教官の親友を数年にわたりやっている人だ。もし、仮に乱闘騒ぎを起こしでもしたら、ミンチとまではいかなくても、ただではすまないだろう。それに、教官からは、もれなく謹慎処分が、げんこつのおまけ付で言いわたされるだろうこと請合いだ。
「あ、そうだ。アレク先輩から伝言。『そのまま一生起きてくるな』、だそうです」
 出ていきかけた少年が、くるりと振り返って先輩の激励の言葉を告げ、ダンが何か言う前に素早く身を翻した。
「……軍医。俺が出た後も、このベッドはあけておいてください。アレク先輩が、一週間ばかり休養を取りたいそうですから」
「やめてくれ。俺は職務を蔑ろにする気はないが、お前たちにつき合う気もない。ダン、おとなしくしないと本当に注射するぞ」
「だから…、俺は別に、注射が恐いわけじゃないと言っているでしょう。脅しても無駄です。俺、昔は医者を目指していたんですよ」
「何故、医者にならなかった?」
 父の姿を追う自分に嫌気がさしたんですよ。と、心の中で呟き、声に出しては、
「マッド・ドクターになりそうだったから」
 と言った。
「…お前が言うと、冗談に聞こえないぞ」
「冗談です。無論」
 真顔になって青ざめる軍医に背を向けて目をつむる。少し喋りすぎたようだ。頭がくらくらする。
「何だ、お前そんなもんになりたっかったのか? へぇ、初耳」
 ぼそっとした声がして、入口からひょっこりと長身が覗く。金髪に青い瞳の青年、まだあちこちの傷痕が生々しい。青年は、当たり前のようにベッドに歩み寄り、無遠慮そうにダンを見下ろした。
「熱は下がったのか? 全然大丈夫そうじゃないか」
「レックス、貴様っ!」
「やめろっ、ダン!」
 軍医の制止を振り切って半身を起こすと、渾身の力を込めてレックスを殴り飛ばした。青年の長身は吹っ飛ばされて壁に激突する。
「大丈夫か、レックス」
 軍医が助け起こす。そんなレックスを気にもとめずに拳を震わせる。
「…遅い」
 肩で息をしながら、立ち上がったレックスに投げつけるように言葉を吐き出す。
「何故、もっと早く来なかった? お前…」
「ごめん…」
「謝ってすむかっ! 馬鹿野郎! 俺が、寝込んでるのに…何で…? 何で、早く来なかった……っ!」
 熱のせいで視界が霞む。らしくないことを口走っているのはわかる。でも、感情が制御できない。不安が溢れる。
「……俺、待って…たのに……」
「ごめん」
「な……で…? 遅いよ、お前」
 ゆらりと身体が傾く。意思に反してそのまま床に倒れ込む。それを、寸でのところでレックスが抱きとめた。
「お、そい…」
 既に声は掠れて涙声になっている。
 レックスは、ダンをベッドに横たえると、そっと手をダンの瞼の上に置いた。触れた掌から熱が伝わってくる。
 かなり熱い。
「…ごめん、俺のせいで…」
「謝るなっ!」
 荒い息をしながらも、そう怒鳴りつける。
 レックスが、茫然と見守っていた軍医を振り返った。軍医は黙って頷くと、無針注射器をダンの腕に押し当てた。
 ダンが、すうっと眠りに落ちる。眠りに落ちる瞬間、その頬を一筋の涙が伝った。
 レックスがダンの瞼から手を退けた。そして、軍医を促して隣室へ移動する。

「…説明してもらいたいね、俺としては」
 隣室に移り、自分の椅子にどかっと腰を下ろすと、軍医はおもむろに口を開いた。普段のダンを知りすぎている軍医にとって、先程のダンの態度や言動は奇異としか思えないのだ。レックスは小さく溜息をつくと、軍医のデスクに体重を預けた。
「他言しないでくださいね。あいつ、プライド高いですから」
「俺は医者だ」
 そうですね、と薄く笑って言葉を続ける。
「あれが本来のあいつなんです」
「?」
「いつものも、確かにダンであることに違いないんですけど、あの性格に埋もれてなかなか見せない弱い部分。それが本来のダンなんです」
 軍医は黙って聞いている。
 レックスは、じっと壁を睨んだまま苦しげに眉をしかめた。
「俺も知らなかったんですけどね。初めて会ったときはすっげー嫌な奴と思ったし。…でも、やっぱりきっかけは熱出したとき。ルームメイトになってすぐあいつ熱出して、取り乱して…熱のせいで理性吹っ飛んで、自分の弱ささらけ出して……っ」
 かわいそうなくらい怯えて……、とレックスはその時のことを思い出したのか、両手で顔を覆った。
「あいつの家、けっこう複雑だから」
 呟きは耳にかろうじて届くほどの大きさだった。
 ダンの家庭が複雑なことは、ルーフの口から少しだけ聞いている。何でも、かなりの名門の家柄らしく、士官学校への入学も勘当同然で、休暇も実家へは帰らず、寮に残っているようだ。
 あいつには、休む場所が必要だ。いろんな意味でな。とは、ダンを担当したルーフがしみじみ軍医に語った言葉だ。その言葉の意味が今わかったような気がする。
「レックス」
「なーんてね。とは言っても、既にあの性格は固定されているから、こういうときでもないと、なかなかああいう姿は見れませんよ」
 そう軽く言って笑ったのは、多分照れ隠しだろう。
「…俺もう行きます。ユージンに飯おごる約束したから」
 それじゃ、と敬礼するとレックスは踵を返して出ていく。
 軍医は頬がゆるむのを自覚していた。口では悪態をつきながらも、結局は、お互いを大事に思っている青年達を愛しく思った。
 軍医はしっかりと聞いていたのだ。いつもの笑顔を向けたレックスが、一人言のように言った言葉を。
「…とは言っても、あんな姿は見たくないけどね」
 隣では何も知らずにダンが眠っている。
「ダン、お前も気づいているんだろう」
 安心して背中を預けられる友の存在に。
「全く、不器用な奴等だ」
 苦笑を含んだ呟き。ルーフと出会った頃の自分を思い出したのだ。
 第三者があれこれ口を差しはさむことではない。すべて時間が解決してくれるだろう、自分達がそうだったように。


 ダンが、トレーニング室に姿を見せたのは、騒ぎがあってから五日後だった。
「ダン先輩、もういいんですか!」
 射撃をやっていた少年が、歩み寄るダンに気づいて、心底嬉しそうな声を上げた。差し出す手に心得たように少年が銃を渡す。
 的に向かって照準を合わす。瞳がすっと細まり、引き金を引く指に力を込める。
「さすが! もうすっかりいいみたいですね、先輩」
「嫌味な奴だね、お前も」
 後者は、すべての的を撃ち抜いた銃の腕に対する遠回しの称賛の言葉だ。無論、発したのは少年ではなく、その隣で同じく射撃のトレーニングをしていた先輩のアレクである。
「おかげさまで。アレク先輩に激励のお言葉を頂いた甲斐あって、すっかり完治しましたよ」
 その節はどうもと慇懃無礼に頭を下げる。
「お前がいなくてせっかく静かで平和だったの…に…っ」
 語尾が引きつったのは、ダンが無言で銃口を向けたからである。
「医局は静かで平和でしたよ」
「馬鹿、やめろっ!」
「…いい加減にしないか、お前達」
 苦り切った声を発したのは、ちょうど通りかかったルーフ教官である。
「お前は病み上がりだろう、ダン。もう少し自重しろ。それから……」
 教官の声を遮ったのは、ここにいる誰でもなく、スピーカーから降ってきた、聞き覚えのある陽気な声だった。
『ダンー! いたら部屋まで来い!』
 声はそれだけ言って切れた。
「…公共のものを私的に使うなと、あれほど言っているのに!」
 怒りのために肩を震わせる教官に、フォローのしようがなくて互いに顔を見合わせた。
「ダン、行ってこい。行って、教官室まで来るように伝えろ」
 教官の声を駆け出した背中に聞いた。


 レックスは部屋の前で待っていた。近づくと、よおっと片手をあげた。
「何か用か」
「まあな」
 答えて、手にしていたものをこちらに投げた。反射的に受け止め、手の中のものを見て驚きの声を上げる。
「これは!?」
 レックスが投げてよこしたのは、なくしたと思っていた腕時計だった。
「お前、それ壊れたって言ってたろ。直しといたぜ。親父さんからもらった大事なもんなんだろ」
 しかし、これはもうかなり古いやつで、修理に出しても直らなかったものだ。それが何で。
 その旨をレックスに問う。
「あ? ああ。確かに古いけど、直せないわけでもないさ。俺の手にかかればな」
 コンピューターに関しては、一流のエンジニア並みの腕を持つレックスは事もなげに言い放った。
「誕生日だろ、お前。俺からの祝いだ」
 一瞬返すべき言葉をなくした。完全に意表をつかれたのだ。すごく嬉しかった。嬉しかったが、実際口にしたのは全く別のことだった。
「レックス…」
「ん?」
「さっきのことで教官が呼んでいたぞ」
「げっ…。やっぱばれてたか」
 レックスは、観念したように肩を竦めて見せると、
「お呼ばれしてくるわ」
 と言って歩み去った。
 結局、礼は言いそびれたままだった。


 ダン・フレドリクスは、十九歳の誕生日を迎えた。
「父さん……」
 数年ぶりに口に出した言葉。
 手の中の時計を見つめながら、久しく思い出しもしなかった昔を思い出した。
 六歳の誕生日。さんざんにねだってもらった父の時計。小さな自分には大きすぎて、何度も腕から滑り落ちた。その度に拾って手渡してくれた父。
「大事にするんだよ」と、大きな温かい手が頭を撫でた。
 感傷を振り払うように、軽く頭を振って腕時計をデスクの引き出しの奥にしまった。

 彼は思う。レックスに会ったのが、そもそも不幸の始まりだった、と。
 そして、こうも思う。
 レックスに会ったおかげで、それまで背負っていたものが半分だけ軽くなった、と。
 多分、明日には、またレックスや仲間と訓練に励むことだろう。
 それは、彼にとって、とても自然で幸福な時間であった。今のところ、彼自身そのことを否定しえないでいる。 今、彼は三十パーセントの不幸と、七十パーセントの幸福の中で生きている。それが誰にとってより不幸なのか、答えられるものは、いない。



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