「そんな!? 信じられん!」
 驚いて振り返りそうになったが寸前で思い止まった。
「信じられないだろう。あいつあの顔でキレるんだぞ。あの顔で! 俺があっと思ったときにはもう壁に叩き付けられてて…」
「楽しそうですね」
「うわああああああぁぁっっ!」
 二人の大佐は突然会話に割って入ってきたレイレに驚いて飛び退いた。
「お、お前っ。いた、痛いって…」
 レイレはルブランの頬を思い切りつねりあげライト・ブルーの瞳を細めた。
「口は災いの元だと言ったでしょう。全く。学習能力のない人ですね、あなたも」
「あの、フォルダー中佐? ルブラン大佐の言ったことは……」
「ええ、事実です」
 事もなげに言うレイレをハウゼンが凝視する。
 この自分より十歳以上も若い中佐は、自分の形の良い唇が発した言葉を理解しているのだろうか。
 そんなハウゼンに気づかぬようにレイレは続ける。
「あの頃はまだ私も、もちろんラークもですが、血気盛んな頃でしてね。ちょっとしたことですぐ頭に来て…、とは言っても少なくとも私は充分自重していたのですがラークが何かと突っ掛かってきて大変だったのですけれど」
 嘘つけと吐き捨てるように言ったルブランをもう一度つねって言葉を続けた。
「ラークがあのときひどいことを言ったからです。だから私は…。まあ、若気の至りというやつですね」
「違うと思うぞ!」
 ルブランがレイレの手から逃れてそう毒づく。
「大体なぁ、お前は俺を年上だと思っとらんだろ。俺を弄んでいるとしか思えん、その態度はっ」
「……ルブラン大佐のほうが、年上だったのか? 私はてっきり」
 ハウゼンが二人を見比べて言う。
「フォルダー中佐のほうが落ち着いているから」
「俺のほうが六つほど年上なんですがね」
 ルブランががっくりと項垂れてハウゼンを見た。ハウゼンは困ったような笑みを浮かべてレイレに視線を移した。が、レイレは何か別のことを考えているのか遠くを見つめていた。

                    ◇                                                ◇

「――そんな! 不公平じゃないかよっ! 何で、何でお前だけこんな目に合わなきゃ何ないんだよっ!」
 三週間ぶりに帰ってきたレイレを迎えたのはチームメイトの悲鳴のような怒鳴り声だった。
「ラーク……」
「何で、だよっ! お前、なんで笑ってんだよ。怒れよ。……お前には怒る権利があるんだぞっ!」
「…いいんです、私はこれで」
 そっと目を伏せて保護フィルターをつけた腕を見つめた。
「っ! 何……でっ!」
 そんなレイレを見て自分のことのように怒りを露にしているルブラン。
「私は後悔などしていません」
 ルブランの気持ちをありがたく思いながらも淡々とした口調で続ける。
「まして、恨むなんて。これで良かったのです。あの子が無事だったのですから」
「お……前。何でそんなに他人の何か優しくなれるんだっ! 自分のこと、もっと考えろよ。……もう、一生使えないんだぞ。腕。もう二度と使うことはできないんだぞっ! わかってんのか! あのガキ一人のせいでお前の腕が……っ! ――いったい何なんだよ。何様のつもりなんだよっ。自分のせいで、お前の腕、使い物に、ならなくなったっていうのに。あのガキに、それほどの価値があるのか? お前が片腕犠牲にしてまで守る価値があいつにあるのかよ!」
「黙りなさい」
「何だと?」
 それまでルブランの非難を聞き流していたレイレの顔から微笑が消えた。残ったのは彫像のような美しい顔。
「黙りなさい。ラークランドレイク。私になら何を言ってもかまいませんがあの子を愚弄するような言動は謹んでいただきます。たとえ、あなたでも」
「な……っ!」
 言ったレイレ慨然と顔を上げる。その顔がとても悲しそうに見えルブランは再び声を荒げた。
「たかがガキだろっ。お前が命かけるほどのものじゃないだろ。なのに、何で…っ!」
 最後までは言えなかった。言葉の途中で身体が浮いた。あっと思ったときには全身に痛みが走り火花が散った。ずるずると身体が壁伝いに崩れ落ちる。
「レイ……レ」
 朦朧とする意識を目に集中させて自分を投げ飛ばした男を見つめた。
「!」
 ルブランは驚きで目を見開いた。
「お前……」
 薄れていく意識の中で確かに見た。レイレの頬に伝う一筋の涙を。

    ◇           ◇

 基地内の視察が済み、レイレとハウゼンは戦艦に戻ってきた。
「おっ帰りなさーい」
 艦橋に足を踏み入れた途端マインツの明るい声に迎えられた。ハウゼンは思わずこけそうになっている。
「ただいま戻りました。留守中何も問題はありませんでしたか」
「は、異常無しです」
 マインツは嬉しそうに報告した。
「フォルダー中佐、基地から通信が入っていますがいかがなさいますか」
「メインスクリーンへ。ラークでしょう」
 オペレーターにそう答えると指揮デスクへ歩み寄ってスクリーンに向き直った。程なくルブランの顔が画面に現れる。
「まだ、何か?」
『つれないな。俺とお前の仲じゃないか。またしばらく会えなくなるから寂しがってるんじゃないかと……』
「…短い付き合いでしたね。通信を切りなさい」
『わーっ、待った。俺が悪かった』
 オペレーターに指示をするレイレに慌てて謝る。
『冗談だ。ところで聞くのを忘れていたんだが。お前の大事な坊やは元気か?』
「…元気ですよ。それにもう坊やじゃありません。本人が聞いたら怒ります」
『はは、そうだったな。ところで今どうしてるんだ? お前の大事な坊やは』
 わかっているのかいないのか、また坊やと繰り返すルブランに微苦笑を浮かべる。
「リアクームで《空の番人》をやってますよ」
『……それはそれは』
 ルブランはそれだけ言うと考え込むように視線をそらせた。
『お前達が査察に向かうのはファオラとリアクームだったな。これは何か陰謀でも?』
 ルブランの問いに苦笑を返す。
「いいえ。偶然です。査察に向かう場所はくじ引きで決めたのですから」
『…くじ引き。本部は暇そうだな』
「そうでもありませんよ。でも、まあ、本部には士官の方々がたくさんいらっしゃいますからね」
『あーあ。俺は大佐になんかなりたくなかったのに』
 突然ルブランはそう言って悪戯っぽくウインクした。
「そうですね、あなたにはその軍服より《空の番人》のユニフォームのほうが似合います」
『だろ♪』
 大佐としての力量がないわけではないが、やはりルブランは第一線で活躍する《空の番人》があっていると思う。
『ま、なってしまったからには全力で任務を遂行するまでだがな』
 そう言って笑う。強くて優しい。自分はこの男が好きだった。
「……ラーク。あのときはごめんなさい」
『…。良い航海を』
 ルブランはそう言って通信を切った。最後に見せた笑顔は気にするなと言っていた。
「ありがとう……」
 レイレの呟きはオペレーターの声にかき消された。
「離陸します」

 月にあるファオラへ向かう間も、レイレは多忙だった。と言うのも、本来なら基地で片付ければいいような仕事までも持ち込んでいたからなのだ。仕事熱心なのはわかるが、傍から見ればいささか不思議だった。急ぎの仕事でもない、帰ってからやれば済むほどの仕事をまるで憑かれたように黙々と行っている姿は一種独特の雰囲気を発していた。
「フォルダー中佐、少しは休んでください」
 マインツが心配そうに声をかけるが、レイレはけぶるような微笑を浮かべただけでまた仕事に戻ってしまう。そんなことが数日間続いた。
「フォルダー中佐」
 いつものようにレイレが書類の整理をしていると、見かねたようにハウゼンが声をかけてきた。
「…おっしゃりたいことはわかっています。ありがとうございます。でもどうかお気になさらずにハウゼン大佐もご自分の仕事をなさってください」
「だが…」
 ハウゼンが困ったように口を閉ざすと、レイレは儚げな笑顔を向けて呟くように声を発した。
「何かやっていないと…落ち着かないのです。今更、感傷にひたる気など毛頭もないのですが。昔のことが思い出されて……」
 レイレの声がか細くなって、途切れた。刹那、レイレの身体がぐらりと揺れ、その長身をフロアに投げ出した。
「フォルダー中佐!」
 驚いたハウゼンがレイレを抱き起こしたがレイレの瞼は固く閉じられたままだった。

 熱い……。
 浮上する意識の中で燃えるような熱さだけが存在していた。
『……!』
 誰かに呼ばれたような気がした。
 しかし、それが誰なのか確かめる間もなくレイレは再び意識の奥へと引き戻されていった。

                   ◇                                       ◇

「レイレ」
 足もとで自分を呼ぶ声がした。微笑を浮かべながら屈んで相手の目を覗き込む。
「どうかしましたか?」
「ううん、何でもないよ」
「そう。じゃあ帰りましょうか、ユージン」
「うん」
 元気に答えて走り出すユージンを見遣ってにっこりと微笑む。
 レイレがユージンのところへ来て一週間が過ぎようとしている。今のところ何も起こらない。
「中将の思過しだったようですね」
 呟いて安堵の溜息を漏らす。
 レイレはユージンの家に世話になっている。そうやって一緒に生活しながらそれとなく周囲に目を光らせているのだ。今日もユージンを向かえにきたのだがやはりそれらしい気配はなかった。
「レイレ!」
 たたたたっと駆け寄ってきたユージンがその勢いのまま飛びついてきた。
「レイレっ」
 ユージンは良く懐いてくれている。自分を年の離れた兄のように慕ってくれているのだ。
「何ですか、ユージン」
「えっとね、さっきそこでこれもらったの」
 レイレはユージンの手に握られているものを見てぎょっとした。
 低周波爆弾!?
 慌ててそれを取り上げて遠くへ放った。しばらくすると破裂音がして微かな爆風が髪を揺らした。
「どうやら破壊力はあまりないようですね」
 そう独語してからそっとユージンを抱き上げた。
「ユージン、知らない人から物をもらってはいけません。いいですね」
「…ごめんなさい」
 ようやく聞き取れるほどの声で言うと、ユージンは鮮やかなエメラルド・グリーンの瞳を不安そうな色でいっぱいにしてレイレを見つめた。
「…レイレ怒った? 僕のこと、嫌いになった?」
 それを聞くとレイレは柔らかな微笑で答えた。
「いいえ、ユージン。怒ってなどいませんよ。それに私がユージンを嫌いになるわけがないでしょう」
 それを聞くと、ユージンはにっこり笑ってもう一度ごめんなさいと言いレイレの首に手を回した。

 冷やりとした感触を肌に感じてゆっくりと目を開けると、
「フォ、フォルダー中佐〜」
 情けない声がして今にも泣きそうなマインツの顔が視界に現れた。
「フェイ……?」
「だから言ったじゃないですかぁ。休んでくださいって。倒れてからじゃ遅いのに」
「心配をかけてしまったようですね。ところで倒れてからどのくらい経ちましたか?」
 ベッドの上に上半身を起こすとまだ少し頭がくらくらした。
「二日間完全に意識不明でした」
「……それは、大変ご迷惑をおかけしまして」
 ぎょっとして自分の形の良い額に手をやった。まさかそれほど眠っていたとは思いもしなかったのだ。
「それでは、もうそろそろファオラに到着しますね。準備しないと……」
「それには及ばない」
 立ち上がりかけたレイレを制するように入口から声がかかった。
「ハウゼン大佐」
 ハウゼンは、つかつかと歩み寄ると傍らに控えていたマインツの頭を小突いた。
「馬鹿者。フォルダー中佐が気がついたのならそう艦橋に連絡しないか。お前だけが心配しているわけではないのだぞ。そのへんをわきまえろ」
「すみませんでした」
 しゅんとしてしまったマインツをそのままにしておいてレイレに向き直った。
「あと数分でファオラに到着する。だが、査察は私一人で行く。フォルダー中佐はもう少し静養しているように」
「ですが…」
「また倒れられてはこちらが困る。部下達の士気が下がるし、シュタイナ大将にお叱りを受ける。リアクームに元気な姿で行きたいのならばここは我慢なさい。でなければ本部に強制送還しますぞ」
「……」
 レイレが黙っているとハウゼンは苦笑いした。
「少しは自分の身体を労ること。過労死なぞ様にならんぞ」
 では、と言ってマインツを連れて出ていくハウゼンにレイレは謝辞を述べた。
「ご迷惑をおかけして申しわけありませんでした。今回はお言葉に甘えさせていただきます」


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