「何ですか?」
 クラウスは、聞き返した私をしばしじっと見つめ、やがてぽつりぽつりと話し出した。
「私は、戦争という行為を愚かだと思っているのです。しかし、私は、今もこうやって戦場に立って剣をふるっている。自分でも矛盾しているとつくづく思います」
 一度言葉を切り、逡巡するように視線をさまよわせた。私は黙って待っていた。
「……私には弟が二人いたのです」
 と、クラウスはやがて意を決したように口を開いた。
「亡くなられたのですか?」
「ええ……。末弟は戦場で。もう一人は末弟の死を苦に家名を捨て、出奔しました」
 クラウスは呻くように呟いた。
「末弟は、まだ、十五だった。初陣で。……戦乱の中はぐれて、再び見えたときには既に! それ以来、私は剣をふるうことにためらいを覚えた。それが、やがて命取りになることはわかっている。しかし――」
 クラウスが慰めの言葉を必要としていなかったので、私は何も言えず、ただ聞いていた。
「兵士達の中には、戦いに馴れていない者も大勢います。皆、戦争のために徴兵された者達です。本来なら剣を持つことのなかった者達が剣をふるい、同様の境遇におかれた者を切り伏せ、また、切り伏せられる」
 堪えるようにきつく唇を噛み締めた。
「……聞こえるのです」
 クラウスは、囁くように言った。
「毎夜、兵士達の故郷を思いすすり泣く声が。明日を憂い漏らす溜息が。……この戦が終わった後に、いったい幾人の兵士が無事故郷へ帰れることでしょうか」
 そう言い終えた後、クラウスは苦笑を浮かべた。
「私が、こんなことを言っていては、兵士達に申し訳がたちませんね。一人でも多くの兵士達を連れて、故郷に帰るのが、私の使命なのですから」
 再び穏やかな笑みを浮かべ、クラウスは、忘れてくださいと言った。私も、それ以上のことを聞くことはしなかった。
「……一曲いかがですか」
「いいですね」
 天幕から流れるウードの調べは、哀しく、優しく……また、懐かしかった。
 冴え渡る月に響くその音色に、多くの兵士達が聞きほれた。ある者は涙し、またある者は故郷の方角を眺めた。
 必ず帰ると笑顔で後にした故郷は、あまりにも遠かった。
 静かな夜の中でウードの音が、兵士達の想いを乗せ、故郷に届けというようにいつまでも流れ続けていた。

 私はそのまま、翌朝、笑顔で見送る彼に別れを告げて戦場を後にした。


「……吹き渡る風が血臭を運び 大地は赤く濡れる
 幾千の時を越え それは繰り返す
 死神の手を振り払った夜は 闇で魔神の微笑みに見ゆ
 時折掠める 低い嗚咽は 何を思い漏らすものか…
 明日を憂う 戦場の夜は 涙と杯 酔えぬままに…」
 アドニスが、そっとウードから指を離したとき、部屋はしんと静まり返っていた。
「私は、エリスからの帰途、何かに引き寄せられるように戦場を訪れました。そこで、私は変わり果てた友人の姿に出会ったのです」
 そっと傍らにウードを戻し、茫然としているイザークに微笑んだ。
 その微笑みは、彼のものであって彼のものではなかった。
『……イザーク』
 はっとしたように顔を上げるイザークの前で、アドニスが微笑む。アドニスの声ではなかった。低く、柔らかい低音は、ひどく懐かしかった。
「兄上…?」
 囁きに近い声。
 イザークは信じられないものを見るようにアドニスを見た。
『お前が元気で安心したよ。私は、今、友人の身体を借りているのだ。そう長い間、話せるわけではない』
「兄上、何故……!」
『多かれ少なかれ、戦場では誰かが命を落とすものだ。それが、私でないとは決まっているわけではないよ。それはお前もよく知っているだろう』
 アドニスの手がそっとイザークの頭に置かれる。
『あの日、お前に言い忘れたことがある』
 それは、イザークが家を出た日のことだ。
 去っていくイザークを、クラウスは引き止めなかった。ただ、黙って見送っていた。その瞳の奥に多くの想いを隠して。
『自由に生きろ。……お前だけは』
「兄上!」
 イザークがアドニスの腕を掴んだ。
「……ああ。もう、いってしまいました」
 軽く吐息を漏らしてアドニスが言った。彼自身の声である。
「どうしてなんだ」
「クラウスは、あなたにあの一言を伝えるために、この世にとどまっていたのですよ、イザーク」
 少し悲しげに微笑んで、傍らのウードを愛しそうに撫でた。
「私が、『呟きの彷徨人』と言われる所以です」
「呟きの彷徨人…?」
「誰が言いはじめたのか、私自身もよくは知りません。私の歌は、叶えられなかった思い達を歌ったものなのです。私は、その思いを叶えるために旅をしているのです」
 私は、不意にクラウスの最期の姿を思い出した。
 クラウスの遺体は、部下の遺体を守るように、守られるように、戦場に横たわっていた。
「クラウスは、最期まで部下を守り、また、部下に守られていました。彼は、私が知る、どの騎士よりも立派な騎士でした。……この言葉を彼が喜ぶかどうかはわかりませんが」
「わかっている。ありがとう、アドニス」
 私は立ち上がり、ウードを手にした。
「明日発ちます。次の街へ行かなければなりません」
 二階へ上がりかける私に女将が声をかけた。
「次はゆっくりしておいきよ、アドニス」
「ありがとう。そうするよ、必ず」
 イザークは、兄の最期の言葉を噛み締めるように宙を睨んでいる。
 私は、階段の途中で立ち止まり食堂を見回した。
 人々の数だけ思いがある。それはまた叶えられないものも同じ。
 私は、私が関わった人々の思いを叶えるために、少しだけその手伝いをする。
 アドニスは、再び戻り始めた温かな語らいに笑みを閃かせて、自室へ引き取った。


 翌朝、旅支度を整えて食堂へ下りたアドニスを迎えたのは、湯気のたつ朝食と、イザークの笑顔であった。
「あなたも、今朝発つのですか」
「ああ。お前と同じところへ」
 イザークの言葉に首を傾げる。
「一晩考えた。『自由』と言っても、俺はまだ何をしていいのかわからない。だから、お前と一緒に行きたい。お前と一緒にいたら、何かがわかるような気がするんだ。だから……」
 真剣な面持ちで言いつのるイザークに微笑を向けた。肩の上ではソンシアが短く鳴く。
「あなたの望むように」
 再びソンシアが鳴き、短い羽ばたきと共にイザークの肩に飛び移った。
「うわっ!」
「ソンシアもあなたが気に入ったようです。それに、私もあなたがいれば心強い」
 同意を示すようにソンシアが鳴く。それにつられて弾けるような笑い声が朝の光の中で踊った。


                                                                              〈了〉

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